アートとデザイン

[閲覧注意]江戸時代に書かれた日本画調の人体の解剖図や骨格図いろいろ


内臓や骨の様子は今でこそよく知られており、Google Body Browserのようなウェブアプリで隅々まで観察することができますが、その昔は解剖はタブー中のタブーでした。そんな医学の夜明けの時代に作成された人体の解剖図です。筆で書かれた日本画調のタッチが時代を感じさせます。


982年ごろ書かれたとされる丹波康頼の「医心方」から1860年ごろに模写されたと思われる妊婦の絵。

14世紀の僧侶であり医者であった馬島清眼は、伝説によると夢に現れた仏に眼病を癒す術を授けると言われたそうです。その夢を見た次の日、仏像の横を見ると医術の本があり、これを読んで馬島は医者になったとのこと。

1790年ごろの書物にあった頭蓋骨の穿孔手術のための道具。長崎の出島を通じて入ってきた西洋の医学に関する書物に掲載されていたもの。これらはオランダ語の幕府公式通訳として働くかたわら、西洋式の外科手術を学んだ吉雄耕牛による書です。

似たような道具は他の本にも掲載されていました。これは1769年ごろのもの。

この解剖図は、長崎の出島から日本に入国したドイツの解剖学者ヨハン・レムリンの「小宇宙図観」をもとに訳出された木本良意の「和蘭全内外分合図」から。「解体新書」の出版よりも92年早い1682年の本と言われています。

これは京都の眼科医であった根来東叔が1732年に作成した日本最初の骨格図。火あぶりになった罪人の骨を模写したものです。

そしてさらに1750年、山脇東洋によって日本で初めて死体の解剖が行われ、1754年に「蔵志」としてまとめられました。

もっとも当時死体に触るのは一部の階級の人にとってはタブーであり、実際に解剖を行ったのは雇われた人夫だったそうです。

1758年には、山脇の弟子栗山孝庵が2回目の解剖を実行(左図)、翌年には日本で初めて女性の解剖が行われました。これは日本で初めて医者自身によって行われた解剖でもあります。

日本で5番目の解剖、そして日本初の脳の解剖は1770年、河口信任によって行われ1772年に「解屍篇」としてまとめられました。



山脇東洋の息子である山脇東門も1771年に初めて人体の解剖を行い、1774年に「玉砕臓図」をまとめます。



日本の接骨医学・骨格学の祖といわれる各務文献(かがみぶんけん)の書から。1800年に女性の死刑囚の解剖を行った記録。

各務文献の「環神備要」から。

体の輪郭を描いた薄い紙を載せるという工夫がなされていたそうです。

三雲,環善、小石元俊、吉村蘭州による「施薬院解男体図」(1798年ごろ)


1783年に小石元俊が行った0歳男性の解剖の図。

These illustrations are from an 1809 book documenting various surgeries performed by Seishū Hanaoka for the treatment of breast cancer. The illustrations here depict the treatment for a 60-year-old female patient.
華岡青洲による60歳女性の乳癌手術の図(1809年)

包帯の巻き方手順書(1813年)

本間棗軒の1847年刊「瘍科秘録」より

以下の図は、本間棗軒の口述を川又誠がまとめた「続瘍科秘録」(1859)からとったもの・







ソース:Anatomical illustrations from Edo-period Japan ::: Pink Tentacle

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