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現代のスタンダードとなった「グロック」拳銃の開発者、ガストン・グロック氏が死去


今や世界的なデファクトスタンダートとなったポリマー製フレームの拳銃「グロック」シリーズの生みの親、ガストン・グロック氏が死去しました。94歳でした。

ガストン・グロック氏は1929年オーストリアはウィーンに鉄道労働者の息子として生まれ、ごく短期間の軍役の後、工科学校を卒業して工作機械の会社で技師として働き始めました。その後小さな金物メーカーとして独立、自宅を兼ねた工房でドアや窓の金具などを生産していましたが、1980年、オーストリア軍にナイフや銃剣を納入し始めたのがきっかけで同国軍向けのピストルの開発に着手しました。

出来上がった拳銃は「17番目の発明」を意味する「グロック17」と命名されました。それまで木と鉄でできているものとされた拳銃をポリマーのフレームと金属のスライドに、後年「セーフアクション」と呼ばれるようになった安全性が高く、かつ非常に操作の簡単なメカを搭載、さらに1度に17発も装填できる大容量の弾倉を備えていました。

これらは現代から見ればごく当たり前の内容ですが、当時としては画期的を通り越し、一部では困惑すら感じさせるものだったよう。直線で構成された異形の姿も相まって、映画「ダイ・ハード2」では「X線に写らない拳銃」として言及されるなど、文字通りエポックメイキングな拳銃であったことが伺えます。
Die Hard 2 McCLane Speech With Lorenzo – YouTube

グロックシリーズは登場以来、公用向けに圧倒的なシェアを獲得、民間向けにも人気が高く、文字通りのスタンダードとなりました。一方で、ガストン・グロック氏はマスコミへの露出を嫌い、その生涯についてはあまり多くは知られていません。

しかし、1999年に当時グロック氏の資産管理担当者が、自身の横領を隠ぺいすべくグロック氏を暗殺しようとした事件の際、グロック社の資産にも捜査が及びましたが、その際にはダミー会社による大幅な節税や政党、ロビー団体への資金供与、巨額の訴訟対策などが明らかになっています。

また最初の妻で共同設立者であるヘルガ・グロック氏と2011年に離婚し、50歳年下の女性と再婚した際には、会社の所有権や知的財産権をめぐって6年の間裁判となりました。

グロック社は2023年12月17日に死去を公表。死因などについては明らかにされていませんが「最後まで会社の経営戦略を描いていました」としています。ご冥福をお祈りいたします。

ソース:GLOCK Perfection | Pistols and other Products

Gaston Glock, Inventor of the Gun That Bears His Name, Dies at 94 – The New York Times

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