「やることが多すぎる」のに「結果が出ない」のはなぜなのか
仕事が多すぎて余暇がとれない、長時間トレーニングしているのにトップと差がつく。時間と効率の関係については昔から色々な議論があります。1990年代の初めごろ、ベルリン芸術大学の学生を対象に「熟練した技術を身につけるにはどのように練習すればよいか」という研究が行なわれましたが、中でも練習時間について興味深い結果が出ています。
この研究では大学でバイオリンを学ぶ学生を2つに分けて調査が行われました。音楽を学ぶ学生は演奏活動をキャリアの中心にする人と講師業を中心にする人の大きく2つに別れ、一般的には前者のほうがより高い技能を求められます。
そこでプロのバイオリン奏者としてやっていける学生達を「エリート」、講師業を志望する学生達を「平均」と分け、それぞれの1日の過ごし方を面接と24時間を50分ずつに区切った日記帳ログブックによる記録で分析しました。
予想では「エリートはより多く練習している」という結果が出ると思われました。普通の人たちが人生を楽しんでいる間、彼らは長時間厳しい練習をしているというわけです。しかし、データはまったく違う結果を導き出したのです。
まず、週当たりの平均練習時間は両方のグループとも約50時間程度と変わりはありませんでした。しかし、練習時間の過ごし方には違いがあり、1回ごとの継続練習時間はエリートのほうが3倍も多かったのです。
次に、練習時間のとり方についてエリート達は、練習時間を1日に2回まとめて取っていました。時刻で見ると朝と午後の2回練習時間の山が現れ、技能が高いほどそのピークは高くなります。つまり、練習時間とそうでない時間がはっきりしているということです。対して普通の人たちのとりかたは、1日の間でまちまちでした。
同じだけの時間を費やしているのに、その使い方でエリートと凡人の差が出てしまうのはいったいなぜなのでしょうか。
練習時間を分散させないということは「負荷をかける」ということです。しっかり負荷をかけた「よい練習」を行なえば、技術を確実に向上させ、モチベーションの増加につなげます。また、まとめて練習時間をとれば余暇の時間をしっかりキープすることができるようになります。
逆に練習時間を分散させてしまうと練習の負荷は下がります。そして生活の中で常に練習がつきまとうことになり、余暇もとれず、ストレスに悩まされてしまうことになります。
何かのタスクを遂行しているとき「忙しくて余暇がとれない」となったら、タスクの過剰ではなく、集中すべきところで集中できていないことを疑うべきでしょう。「効率」「生産性」という言葉がよく聞かれるようになりましたが、意味も無く長時間のトレーニングや仕事のスケジュールを設定してしまうのは避けたいものですね。
PsycNET – The role of deliberate practice in the acquisition of expert performance.
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