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サバイバルゲームのご先祖「ペイントボールゲーム」は資本家とボディビルダーの疑問から生まれた


最近エアガンで撃ちあう「サバイバルゲーム」がちょっとしたブームとなっていますが、その直接の先祖である「ペイントボールゲーム」はいつごろ、どうやって生まれたのでしょうか。

「ペイントボール」はこんな感じのゲーム。テニスコート2面分くらいのフィールドに障害物を置き、2チームが両端のフラッグを取り合います。
Amazing World Cup PSP Paintball Mix from PbNation – YouTube

1970年後半のある日、ウォール街で株のトレーダーを営むヘイズ・ノエルと、作家で釣りプロでボディビルダーのチャールズ・ゲインズは議論をしていました。

「街の資本家とアウトドアマン、どちらの職業がより強い生存本能を持っているのか?」

一瞬で数億円が動くこともあるトレーダーと、強靭な肉体をもつアウトドアマンのどちらが強いのか。ちょっと考えるだけでも果てしないテーマなのですが、ある日ゲインズの友人がその問題を解くヒントを見つけました。それが農家向け雑誌に掲載された「ネルスポット・007」の広告です。ネルソン塗料会社が販売するこのペイントボール・ガンはオイルベースのペイントが入ったゼラチン弾を低圧ガスで撃ち出し、林業の人が木にマークしたり、牧場の人が牛にマークするためのものでした。2人はこれで決闘をすることに決めたのです。

2人の共通の友人でスキー・ショップのオーナーだったボブ・ガーンジーの助けを得て、世界で初めてのサバイバル競技会は1981年6月27日、ニューハンプシャー州のとある森の中で行われました。参加者はノエル、ゲインズ、ガーンジーとその他9人。払い下げの迷彩服と作業用の安全メガネ、そしてネルスポット・007を持った彼らは、フィールドに設置された4本の旗を集め最後まで生き残る、まったく新しい「遊び」をスタートさせたのです。

その年の秋、9人の参加者の1人が投稿したレポートがスポーツ・イラストレーテッド誌に掲載されると、全米から問い合わせが殺到しペイントボールは瞬く間にブームとなりました。ノエル、ゲインズ、ガーンジーの3人はペイントボールガン販売のために会社を設立し、ネルソン社から「非農業的使用に限る」という条件でライセンスを取得しネルスポット・007の販売を始め、ゲームの普及に尽力したのです。

銃の改良はもちろん水性ペイントの採用、安全装備の開発、フィールドの整備、そして保険など、彼らの貢献は多岐に渡ります。現在ではプロリーグも設立され、世界各国で賞金を巡る激しい戦いが繰り広げられているようです。

日本には銃雑誌を通じて80年代に知られるようになり、愛好家がエアガンとBB弾を使って遊び始めたものが今の「サバイバルゲーム」として先に有名になりました。「ペイントボール」自体も最近は専用のフィールドが整備され、気軽に遊ぶことができるようになっています。

なお冒頭の疑問「街の資本家とアウトドアマン、どちらの職業がより強い生存本能を持っているのか?」についてはどのような答が出たのでしょうか。世界初の「サバイバルゲーム」の勝者は林業を営むリッチー・ホワイトでした。彼は森に馴染み、まったく見つからず、他のメンバーが撃ちあう中を1発も撃たずに4本のフラッグを集めたのです。強いものではなく環境に適したものが生き残る、という生存の原則が証明された結果は実に興味深いものではないでしょうか。

ソース:Who Made That Paintball? – The New York Times

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