アートとデザイン

50~60年代のアフガニスタンの活気にあふれた風景をとらえた写真いろいろ


50年代~60年代は「アフガニスタン王国」の末期、それから共和制になり内戦に至るまでは非常に豊かな国でした。長きにわたる戦争によってズタズタになる前の、活気にあふれたアフガニスタンの写真です。


アフガニスタンは73年にクーデターにより共和制に移行しますが、その後も国内で紛争が収まらず78年にはソ連の介入を招いてしまいました。89年にはソ連が撤退した後も収まらず、89年から現在に至るまで約30年もの間、断続的に戦闘が行われる事態となっています。

1. カブール大学の学生。ムスリムの国ですが、女性はこのように西側のファッションで、男子に交じって勉強していました。今ではムスリムの戒律にのっとり、顔と体の線を隠した女性がほとんどです。

2. 女性は医学を勉強する人が多かったようです。今ではそうした教育施設は批判の対象となっています。

3. 教育も豊かになる方法として奨励されていましたが、今では人々の意識も変わってしまいました。

4. 新生児の世話を勉強する学生たち。

5. 公的な医療保険の普及率もこの40年で激減してしまいました。

6. ワクチンの研究施設

7. 辺境への回診や衛生指導も頻繁に行われていましたが、治安の悪化により不可能になりました。

8. ガールスカウトも今では見られないもののひとつです。

9. ハリウッド映画を上映していた映画館。いまではありません。

10. 公園も治安の悪化で少なくなったようです。

11. 軽工業はさかんでしたが、電力などの基本的なインフラが維持できなくなり、これも失われた風景です。

12. 50年代初めに作られた水力発電所。今でも現役で稼働しています。

13. 紡績も盛んでしたが、戦争により工場・流通網とも壊滅してしまいました。

14. 働く場所・勉強する場所が減るにつれ、女性の外出の機会は激減しました。

15. ラジオ番組も娯楽にあふれていました。しかし受信には電力というインフラが必要です。

16. 個人運営のラジオ局や衛星放送などが受信はできますが、電力不足はどうしようもありません。

17. 60年代の8月末から9月頭にかけて、アフガニスタンの建国を祝っていたお祭りの時の様子。今では夜は真っ暗です。

18. こうしたウィンドウショッピングもできません。

19. 西側の音楽を買い求める女性たち。

20. 家具販売店。今では家具のほとんどが外国産で、一部の人にしか購入することができません。

21. 果物市場。残された数少ないにぎわいといえます。

22. 政府関係者の会合。西側の服装です。現在では民族衣装にヒゲという伝統的な服装になりました。

23. アフガニスタンの軍隊は、ソ連侵攻や90年代の内戦を経てほぼ解体されてしまいました。今はアメリカの支援のもと、再建がはじまり国の治安を守っています。

ソース:Афганистан 50-ых и 60-ых годов (24 фото)

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