消えゆく紛争の傷、サラエボの1990年代と現在を比較した写真15枚
ソ連が崩壊し、東欧諸国で共産主義独裁が終わるとその陰に隠れていた民族間の争いが激化します。なかでもボスニア・ヘルツェゴビナで発生したものは大戦後最悪とも言われるもので、数多くの市民を巻き込んだ激しい戦闘が行われました。これは、首都・サラエヴォが紛争下にあった1990年代と、現在とを比較した写真です。
サラエヴォは1992年4月5日から1996年2月29日までセルビア人勢力の包囲下にあり、この間12,000人が死亡し、50,000人が負傷。このうち85%が市民という凄惨な戦いが繰り広げられました。
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メインストリートは、両勢力が通る人を無差別に銃撃することから「スナイパー(狙撃手)通り」の異名がつくほど。これはそのスナイパー通りに面したホテル、ホリデイ・イン。戦闘下でも営業が行われ、各国のジャーナリストはここを拠点に紛争の情報を送り続けました。
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こちらは当時のドキュメンタリー動画です。
ボスニア内戦 民族紛争の真実 前編 – YouTube
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もちろん争いの記憶が消えてしまうわけではありません。街の中には砲弾によって欠けた穴に赤い樹脂を流し込んだ「サラエヴォのバラ」が今も残されています。
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