アナログ全盛期、70年代はいったいどのようにして新聞を作っていたのか?
今でこそ新聞の版下(印刷のための原版のようなもの)作りは全てコンピューターで行えるようになりましたが、そんな便利なものがない時代はどのように手書き原稿を活字にしていたのでしょうか?70年代の新聞作成の現場を少し覗いてみましょう。
手書き原稿を印刷できるようにするためには「写真植字(写植)」を行います。これ以前は1文字ずつハンコを並べて原版を作っていたのですが、写真植字では自動で印刷用のフィルムを作ってくれるようになりました。
まず手書きの原稿が写植室にやってきたら、まず日時など必要事項を壁の一覧に記録します。
写植機にかけるため、まず原稿をタイプセッターでパンチテープに記録します。フロッピーだのデータサーバーなどはまだないのです。図のように原稿をタイプしていくのですが、画面も何もないので自分が何をどこまで入力したのかはまったくわかりません。修正は直前の1文字だけ可能。今では考えられないことですね。
このようにもりもりとテープが吐き出されていきます。
次にパンチテープを写植機にかけます。パンチカードの内容にしたがって感光紙に活字が焼き付けられていきます。当時、1つの記事に1つのフォントしか使えませんでした。この機械3台で家が1軒建ったそうです。
感光した原稿を現像器で定着させます。これでゲラ(校正原稿)が完成です。
校正さんがつづりや内容をチェック。
修正が済んだら、原稿は再びタイプセッターオペレーターのもとへ。
オペレーターさんは誤植のあった部分のパンチテープを作ります。
修正した箇所を、元の原稿にカッターで貼り付けていきます。全部打ち直すとまたミスがでますからね。
紙面のどこに記事を配置するか決めたら、見出しの写植を作成します。
写植の修正が終わったらワックスでコーティングして準備完了。
これを紙面に貼り付けて、やっと原稿が完成します。
今ならすべてがPC上のDTPソフトで完結する作業ばかりですが、昔は印刷までにものすごい量の手間があったようです。この辺りの名残は今でもあって、例えば新聞記者などは、ワープロソフトの背景画面に手書き時代の原稿用紙を表示して使っている人が多いようです。
1980年代の終わりごろまで、大学の新聞部はみんなこのような手法で新聞を作っていたそうですが、きっとガヤガヤと楽しい作業だったのかなと思います。
ソース:Really funny stuff – How Newspapers Were Made in the 70’s (12 pics)
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