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大きく時代が動いた75年前の「真珠湾攻撃」を記録した貴重なモノクロ写真


75年前の1941年12月8日(日本時間)、日本海軍がハワイ・オワフ島真珠湾の米海軍基地を攻撃し戦艦8隻を含む米・太平洋艦隊に甚大な損害を与えた「真珠湾攻撃」。そしてこの翌日にアメリカが日本に開戦を宣言を行い世界大戦へ突入していくことになります。

1. 真珠湾攻撃の作戦立案責任者、山本五十六・連合艦隊司令長官

2. 特殊潜航艇「甲標的」で使用されていた真珠湾の地図

3. 最終命令を受けるために集合するパイロットたち

4. 最終命令を受け離陸直前のパイロットたち

5. 戦闘機へ乗り込むパイロットたち

6. 母艦「赤城」の甲板で一斉にエンジン始動開始

7. 空母「赤城」から発艦する直前の零戦

8. 真珠湾へ飛び立つ戦闘機に手を振り見送る乗組員たち

9. 真珠湾へ向かう零戦

10. 次々と空母から発艦していきます

11. 魚雷が命中し巨大な水柱があがる米海軍戦艦「ウェストバージニア」。真珠湾・フォード島。

12. 1951年12月5日。空母「赤城」の第一次攻撃隊を率いた淵田美津雄中佐。戦後はキリスト教の洗礼を受け伝道師として活動してます。

13. 第一次攻撃隊・第一波が攻撃中の真珠湾の様子

14.

15. 日本海軍の戦闘機から撮影された真珠湾。炎上する戦艦と海へ漏れ出た石油が記録されている。

16. 真珠湾近くの航空基地格納庫と戦闘機

17. 1956年11月21日。特殊潜航艇「甲標的」の搭乗員として真珠湾攻撃に参加した酒巻和男少尉。日本人初の米軍捕虜であり「特潜」(5艇、10人)で唯一生き残った人物。終戦後はトヨタ自動車へ入社しブラジル現地法人の社長を務めた。

18. 上空からみた8隻の戦艦

19. 空母「蒼龍」の戦闘機搭乗員として真珠湾攻撃に参加した飯田房太大尉を埋葬する米国海軍兵士たち

この真珠湾攻撃後、アメリカでは日本人や日系人は「敵性外国人」とされ強制収容所へ送られています。全米に10ヶ所あった日系人強制収容所の一つであるカリフォルニア州の「マンザナー強制収容所」を1943年に撮影したのがこちらの写真です。
第二次世界大戦中、日本人や日系人が強制収容されていた「マンザナー強制収容所」

ソース:Rare photos capture the attack on Pearl Harbor from the Japanese perspective, 75 years ago

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