アートとデザイン

戦争で失われてしまった50~60年代のアフガニスタンの風景いろいろ


先日と同じく50~60年代末までのアフガニスタンの風景をとらえた写真です。当時の国王モハメド・ザヒール・シャーの政策によって進められた西欧化の様子と、変わらぬ人々の営みのコントラストが面白い画像です。


国王モハメド・ザヒール・シャーは、王政をしきつつも政治的バランスに優れた一面もあったようです。アメリカの資本とソ連の支援を同時にうけつつ、かつ冷戦中は中立をつらぬこうとし、出版や政党の設立の自由を認めるというリベラルな面もありました。

1. 1962年、石膏の人体模型を手に講義を受ける学生たち

2. 1961年11月のカブールの車列

3. 1966年の政府印刷所。西ドイツ製の印刷機が配備され、カブール・タイムズ紙などを印刷していた。

4. 1968年5月28日のカブール

5. 1961年11月のカブール。ラクダと自動車が共存する道路。

6. 1964年5月のカブールの市場

7. 1959年12月9日、アメリカのアイゼンハワー大統領が訪問した際の車列。ソ連の政治的影響をけん制してのものでした。

8. アイゼンハワー大統領の車列を見守る市民

9. 車列を歓迎する踊り。アイゼンハワー大統領は5時間滞在したのち、インドに出発した。

10. アイゼンハワー大統領訪問の際のミグ15戦闘機とIl28爆撃機

11. 1961年11月に撮影された果物屋

12. 1961年11月、カブールの子どもたち

13. 紡績工場の前、現代的な信号の周りにたたずむ人々。1964年5月24日。

14. 伝統的な服装の人々。1959年11月

15. 自動車工場。90年代にムジャヒディンが政権をとったさい、こうした工場は略奪の対象となった

16. カブール近郊の炭鉱

17. 1949年10月8日、ラクダの隊商

18. 1963年9月8日、ワシントンDCを訪れたモハメド・ザヒール・シャー国王とケネディ大統領

19. 1955年12月15日、フルシチョフ書記長を出迎える儀仗兵たち。軍服はドイツ式だった。

20. 1966年11月のカブール

21. 1968年5月28日、カブールの公園

22. カブールとイラン国境の街マシャッドを結ぶ高速道路。

23. 1966年6月9日の大蔵省ビルディング。西洋式のカフェテリアに面して、夜はライトアップされる噴水がある。

24. 1961年11月のカブール

25. 1966年6月9日、カブールの政府印刷所。活字ひろいの人々。

26. 1949年10月8日の王妃宮殿。

現在の様子。廃墟となっています。

27. 1969年12月31日、カブールの市場の静かな通り

28. 新旧の建物が混じるカブールの街並み。1969年8月。

29. 1959年11月、ラクダとロバを連れて歩く老人

30. 1968年の国王のパレード。1973年にイタリアに亡命し、その後2007年に帰国。92歳で亡くなった。

31. 1959年11月、凧で遊ぶ少年たち。

32. 1961年11月の青空市場。

33. 1951年、まだ3本しかなかった舗装路の1本をゆく人々

34. 1961年、カブール郊外のモスク

35. 1954年3月26日、カブールの少年たち。

内戦や紛争によって当時出生した人々の平均寿命は31歳。ここに写っている子どもたちの多くの命は失われてしまっていることになります。この写真は、争いが何を奪ってしまうのかのリストでもあるのです。

ソース:Afghanistan in the 1950s and 60s – In Focus – The Atlantic

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