科学と技術

兵士達の真上で原子爆弾を爆発させる人体核実験の動画


冷戦中、大国の間では人類を何回も滅ぼすことができるだけの核兵器が作られました。第2次世界大戦の後、確かに世界を巻き込むような大きな争いはありませんでしたが、その上に築き上げられていた平和はどこか空虚なものがあったように思います。


この動画は1957年5月28日から10月7日までネバダ州の実験場で行われた核実験「プラムボム作戦」の9回目「John」で撮影されたもの。

原子爆弾を弾頭とする空対空ロケット「MB-1」はこの時まで実際に空中発射~核分裂の演習が行われておらず、議会並びに国防総省の要請でテストが組み込まれたと記録にはあります。

いざ核戦争となってソ連の爆撃機が大量に押し寄せた場合、当時の機銃や対空砲では止めることができません。MB-1はそうした際、一度に広範囲の爆撃機を吹き飛ばすために用いられる予定でした。

当然使われる環境を考えれば、地上には味方の部隊や守るべき街があります。彼らに対する影響を調べるべく、5人の志願兵とカメラマンによって撮影された記録映像がこちらです。。

戦闘機から発射されたMB-1は、兵士5人とカメラマンの直上1万フィート(約3000m、資料によって1万3千(同4000)、1万8千(同5400)とも)で炸裂しました。看板には「爆心地:人口5人」とあります。
Five men at atomic ground zero – YouTube

MB-1に搭載されていた弾頭は2ktの原子爆弾。広島では15ktの原子爆弾が高度600mで爆発し、爆心地から3km以内にあった建築物の90%を焼失させましたが、高度で5倍、弾頭も比較すると非常に小さいということから、強い爆風と閃光が襲っただけで済んだようです。

放射線の影響についてはなんとも言えないところですが、撮影していたカメラマンのジョージ・ヨシタケ氏は2010年には存命残りの5人も60代~80代まで生きたということを考えると軽微なものであったようです。

いつ巨大な敵が攻めてくるか分からなかった冷戦時代、それに対抗する力を保持するというのは常識的な判断でした。しかし軍拡競争の過熱ぶりを考えると、その力が両刃の剣であることを忘れずにいられるかどうかという想像力には欠けていたようです。

「ヒロシマの教訓」は今も生きているのかどうか?今日1日はじっくりと思いをはせてみるのもいいのではないでしょうか。

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